『田園の詩』NO.20  「自然の不思議」 (1994.10.25)


 秋のお彼岸の頃、少し色づき始めた田圃の畦が真っ赤に染まります。彼岸花とも
言われる曼珠沙華が、毎年、季節を違えず一斉に咲くからです。私達、田舎に暮ら
す者にとっては見慣れた光景かもしれませんが、まだ見たことのない都会の人は、
きっと驚くにちがいありません。

 小さい頃から、お彼岸になると、この花に出会うことが当たり前と思っていた私に、
自然の摂理に対する見方、考え方に大きな変換を与えてくれたのは、次の句でした。

 曼珠沙華 不思議は季節(とき)の めぐりかな

 毎日、ラジオを聴きながら、筆作りの仕事をしていますが、ラジオから流れてきた
この句は、大切なことを私に教えてくれました。

 春になれば桜の花が咲き、夏にはセミが鳴く。めぐる季節は、その折々に毎年
同じ姿を見せてくれます。私はそれを当たり前のことと思っていました。しかし、
秋のお彼岸に合わせて、ピタリと曼珠沙華が咲くなんて、よくよく考えてみれば
こんな不思議なことはありません。


      
     庭に咲いた曼珠沙華が、朝日を浴びて輝いていたので、逆光気味に撮りました。
      とまっているのは図鑑で調べたところ、ササキリのようです。畦いっぱいの写真が
      撮れたら替える予定です。     (06.9.25 写)
     

 都会は、田舎ほど季節の変化を知らせてくれる事象は少ないでしょう。全てのものは、
お金さえ出せば一年中当たり前のように提供される。そんな都会の人達に、私の気持ち
を分かってもらえるでしょうか。

 昨年のお米の不作や、今年の水不足などは、順調なときには当たり前にしか思って
いなかった自然の恵みが、実は不思議な力によって、きわどくバランスされて与えられ
ていたということを教えてくれたように思います。

 今、国東半島の山里は、畦の曼珠沙華も枯れてしまい、稲は黄金色に輝いてきまし
た。季節のめぐりの不思議を、当たり前のように演出してくれる自然の営みの偉大さに、
いまさらながら、畏敬の念を覚えます。

 あちこちの田圃で働く人達を見て、「この里に、こんなに沢山の人が居たんやなあ」
と女房が驚きます。地区民総出の小学校の運動会や秋祭り。山里が一時の賑わいを
みせる季節になりました。                    (住職・筆工)

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